経営者の資質③~世界人であること

商社の本懐

 

「国際人」という言葉はよく聞く言葉ですが、「世界人」という言葉は聞きなれない言葉かもしれません。

私は、経営者は、特に商社の経営者は「国際人」というよりもむしろ「世界人」であるべきだと考えています。
では、国際人と世界人の違いは何だと思いますか?



藤田嗣治

私が初めて「世界人」という表現に触れたのは、以下の藤田嗣治の言葉によってでした。

「私は、フランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。私は、世界に日本人として生きたいと願ふ、それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだらうと思ふ。」

藤田嗣治(レオナール・フジタ)は1920年代のパリ画壇で時代の寵児としてもてはやされたエコール・ド・パリの画家です。26歳以降ほとんどをパリで過ごしましたが、南米やアジアも旅して回りました。

彼のこの言葉は、私の最も好きな言葉の一つです。彼が言う「世界人」という言葉にとても惹かれます。「国際人」ではなく、「世界人」という言い方に。藤田が世界人と言うとき、それはコスモポリタン(世界市民)をイメージしているのだろうと思いました。すなわち国家、国境を越えて融合された一つの共同体としてのイメージの世界、そこを住処とする市民というイメージの「世界人」ではなかろうかと思いました。それは国を持たないジプシーや、国家・政府を否定するアナーキーではない確固たる存在感を持つ「一個人」です。ただ単に世界を器用に渡り歩くだけの「国際人」でもない、「世界人」。そんな印象です。そして藤田は言います。その「世界人」として日本に生きるために、世界で「日本人」として生きたいのだ、と。そしそのためにこの異郷の地、パリで、自分が「日本人」であることを完成させるのだと・・・
よく考えると、とても意味の深い言葉だと思いました。「世界で日本人として生きること」は「普遍的な」日本人になること。すなわち日本人としての自我を確立することを言っているのではなかろうか。そして、自分が「世界人として日本で生きること」とは、「普遍的な」世界人になることを言っているのであろうと思いました。つまり、普遍的「世界人」=普遍的「日本人」という図式になります。
これはとても深いと思いました。誰もが国際的に簡単に世界を行き来できるようになり、家に居ながらにして世界の情報が手に入る昨今、藤田嗣治が言う処の「世界人」とは何か。一考の余地があろうかと思います。特に商社の人間は、上っ面だけスマートに見える国際人を目指すのではなく、真の「世界人」になるべく、研鑽を積んでもらいたいと思うのです。

そして、経営者の資質たるべき「世界人」とは、国家、民族、イデオロギーを超えた普遍性を内包した視座を持った確立された個人のことではないでしょうか?

それは個別の地域特性を持ったマーケットの中に普遍性を見出し、確信をもって進出してゆける開拓者精神につながってゆくための根本であると思うのです。