君の名前はコド君

すい臓がんのこと

この正月休みの間は、寄せては返す波のように激しい腹痛に繰り返し襲われ四苦八苦していました。一日中痛いわけでなく、旧年中は、なんとか部屋の掃除をしたり柏の百貨店まで買い出しに行ったりと忙しく過ごしていたのですが、大みそかから調子がくるってしまいました。激しい腹痛が、痛み止めの頓服薬の5mgのオキノームをいきなり5包飲んでも収まらず、一日中繰り返し服薬しているうちに気分が悪くなって、睡魔に襲われて寝るという感じで、元旦の日も一日中寝て過ごしていました。
1月2日は朝から腹痛もコントロールできていたので、(最近は朝起きた時から腹痛があり、というか腹痛で目が覚めるのか、朝起き掛けにオキノームを3包飲むのがここ数週間の習慣になってますが)その日は朝から痛みがすっきり消えたので、久しぶりに外出しようということで、つくばから大洗海岸までドライブをしました。正月の海は快晴で心地よく、昼食を取るまでは痛みも忘れて楽しんでいたのですが、その後、急に激しい腹痛に襲われました。オキノームを立て続けに6,7包飲んだのですが収まらず、肩で息をしながら、「痛い、痛い」と思わず叫んでいたことは覚えていますが、そのまましばらく意識をなくしてしまいました。激痛で意識をなくしてしまったのは初めてのことでしたが、それよりも、車の運転を友人に任せていてよかったとつくづく思ったのでした。

休みの間は、そんな激痛の繰り返しで(さすがに意識をなくしたのはその時の一回きりでしたが)、夜はやはりはあはあと肩で息をしなければ凌げないほどの痛みに襲われ、多量に痛み止めを飲んで、やはり睡魔に襲われて寝つくまで背中を摩ってもらわなければ凌げないような感じでした。

ところが、不思議なことに、6日に仕事が始まったころには、そのような激しい痛みも一旦治まりました。オキノームの量は一日トータルして20包ほどとかなり増えているものの、日常生活では仕事はこなせているような感じにまで回復し、今日にいたっています。ただ一日中コンスタントに痛み止めを飲んでいるので、日中もずっと眠い感じはあるのですが、腹痛のほうはなんとかしのげています。ベースの痛みは朝起きた時から持続し、夜にはやはり摩ってもらわなければ凌げないほどのつらいものになるのですが、今週はかろうじて昼前には出社し7時ころまでは仕事ができています。

この休み中に本を二冊読みました。いずれも友人に勧められた本です。
ひとつは、アニータ・ムアジャーニ著『喜びから人生を生きる』。そしてもう一冊は、刀根健という人が書いた『僕は、死なない』という本です。二冊とも末期がんが奇跡的に消えたという著者自身の体験を記したものです。彼らの経験がそのまま自分に当てはまるとは到底思えないですが、それなりの啓示を得ることはできました。

それで、自分の癌細胞に向き合い、語り掛けてみようという気になったのです。語り掛けるというのは、観念的に癌細胞と向き合うということではなく、実際に声に出して具体的に語り掛けてみようと思いました。そして語り掛けるためには、自分のすい臓がんに名前を付けて呼びかけてみた方がやりやすいよね、と思い至りました。

スピリチュアル的には、癌になってしまう原因には心的要因があると言われています。ネットで調べるとすぐに出てくるのは、たとえば、肺がんの原因は「悲しみ」肝臓がんの原因は「怒り」等です。それですい臓がんについて調べてみたのですが、あまり出ておらず、かろうじてネットですくい上げたものとしては、「無気力」「自分に分不相応な期待や野望」みたいなことがどこかに書いてありましたが、どちらもピンとこないのです。自分は実際そうなのだろうかという疑問です。
それで、数時間、内省しながら自分の癌の原因はなんだろうとあれこれ考えてみました。自分の幼少のころからの生活習慣や言動、行為などをあれこれとあげつらって考えてみました。

それで自分のすい臓がんにぴったりの名前を思いつきました。
それが「コド君」でした。
どうして「コド君」なのかは恥ずかしいからここでは発表しませんが、とにかく昨夜から「コド君」に語り始めました。

「コド君はどうして癌になってしまったんだろう」
「コド君はよく頑張ったね。頑張って俺に教えたいことがあったんだよね」
「コド君の苦しみに気づいてやれずにすまなかったね」
「コド君、今日のご機嫌はどうかな?元気に活動してるのかな?」
・・・・・

という風に、いろんなことを思いつくままに語り掛けることにしました。

こんなことで自分の癌が改善するとは一切思っていません。
それよりも、純粋に自分のすい臓がんととことん友達になり、彼のことをわかってやろうという気持ちになったのでした。