2020年2月の覚書

すい臓がんのこと, 日々雑感

2020年、年が明けてからの状況はある意味悲惨なものだった。
昨年末よりいよいよ麻薬系鎮痛剤での制御も困難になってきた激しい痛みのせいで、私は既に昨年12月には既に出社が難しくなっていた。
1月初旬に伊勢神宮に初詣に行った帰りの新幹線では、それまでに経験したことのないような痛みで肩で息をしていた。オキノームをいきなり10包(5mg包装)飲んだがそれが効き始めるまでには1時間程度を要した。その間、はあ、はあと唸り声をあげながら、このまま死ぬのかもしれなという恐怖におののいた。それ以来会社には全く出社出来なくなった。1月下旬に胆道ステントの入れ替えのために1週間入院したが、入院中も私の日常は、朝起きてから深夜やっと眠りにつけるまで、延々と鎮痛剤を飲むだけに費やされているようなものだった。私はその一か月はまったく陰鬱だった。それまで、仕事に関してはどんなことでも自分で決済しなければ気が済まない性格の独善的な経営者だったから、社員も、電話で頻繁に報告と相談を繰り返していた。多い時には30分に1回程度いろんな細かい報告を私にくれた。その都度私は嬉々として指示を繰り返してきていたが、1月に入院したころにはそれは全く煩わしく腹立たしいことに成り下がっていた。「そんなことぐらい自分で解決してくれよ」と私は腹を立てた。社員は、私を元気づけるために私を業務につなぎとめてくれていることは百も承知だった。私が生半可に返答を繰り返しているうちに、さらに気を使った社員たちは今度はその報告が1時間に1回程度になり、数時間に一回、そして半日に1回と回数が減っていった。模範的な経営者は社員を信頼して仕事を任す。そんなことは百も承知だ。私は物事について決済しているわけではなかった。心の優しい社員たちは、自分たちの行動について、「こうしようと思いますがそれでいいですか」というような具合に私に報告してきた。その心優しい社員たちに感謝しながらも、正直痛みのせいで自分の判断能力もかなり曖昧になってしまっていることに気付いていた。私は会社の業務から当分一切身を引いてみようと思いついた。それから、「100%君に任すよ」というように回答しているうちに、報告も随分と少なくなってきた。その代わり、CCでのメールの報告が随分と増えた。これによって、私は激しい痛みが引いたときのみ落ち着いて今何が起こっているのかをチェックできるようになったから私は随分と楽になった。

年が明けてから2月末の今まで、私は一切家から出ないようになった。出かけるのは2週間に一回のみ病院に通院するときだけになった。
私は現在一切治療をしていないので、毎回診察もシンプルなものだ。大学病院に着くと血液検査をして、その結果を主治医から聞く。保険点数との絡みで、癌マーカーをチェックするのは月に1回だけだ。昨年9月に3クールだけ抗がん剤をしたときは、CA19-9の数値は1000近くから107までと極端に改善した。ところが、前に書いたように、激しい副作用に耐え切れなくなり、私はあっさりと降参してしまった。それから癌マーカーはきれいな曲線を描くように上昇してきて、今は800程度まで上がってきている。でもその数値は極端に高いとはいいがたいものかもしれない。先週の診察では、ステントを変えたおかげもあって、極端に悪かった肝臓のそれぞれの数値も目に見えて改善していた。
主治医は、前回抗がん剤を断念した直後から、毎回抗がん剤を再開することを勧めてくれる。種類を変えて、回数を減らして、点滴から経口薬に変えてでも抗がん剤を続けるべきだと言ってくれている。でも私は、どうしても再度抗がん剤を試みようという気になれない。前回の副作用の地獄のような倦怠感がトラウマになっているということもある。それよりも今の状態が奇跡的安定しているので安心していることもある。このまま治療をしなくてもやり過ごせるのではないかと。主治医はいずれ急に病状が悪化することがあるのでその前に始めた方がいいと進めてくれてはいるのであるが。それよりも、私がどうしても抗がん剤に踏み切れない理由。それは主治医の言葉、「抗がん剤は癌をやっつけるものではありません。延命のためにやるのです。一日でも死を遅らせるために・」
私はこの言葉に納得できないのだ。
私の2週間に一回の通院で一番大切なのは、主治医の診察の後の緩和ケアの先生のコンサルティングだ。現在、私は朝起きた直後から痛みを感じる。それは耐えられないほど激しいものではない。でも起きて時間を浪費するにつれて痛みは増してくる。食後にそれは特に激しいから私は食事が恐怖になっている。それでも強欲な私は痛みで腹を抑えながらも、結構食べているような気がする。結構食べているのか?多分一般人よりも極端に少ないだろう。でも、体重は維持できている。この2年間で25kg以上減った体重は、この数か月全く減ることなく維持できているのだ。痛みは夜にとても激しくなる。痛みは膵臓のあたりから逆側の肝臓のあたり。そして背中に回り左右の背中がきしむような痛みになる。そして毎晩、私ははあはあと肩で息をしながら痛みが去るのをまつ。激しい痛みは、いつも1時間程度で消える。でもそのためには激しい痛みが起こり始めてからオキノームを10包から20包飲む必要がある。

この数週間、家に引きこもり、毎日相も変わらず、痛みと闘っているが、襲ってくる痛みには波があり、いつも朝起きた直後の数時間と、深夜から明け方にかけては、決して消えることのない底痛みはあるものの、痛みの度合いが随分と楽になるので、その時間にいろんなことを考えるようになった。頭の中に押し寄せてくる考えのほとんどは、一言で言うと「後悔」だ。今までいろんな人間とのかかわりの中で、自分の責任を果たせなかったこと、「すまない、許してほしい」という気持ちが毎夜、堂々巡りのように私の脳裏を駆け巡る。それはとても後ろ向きで無意味で、非生産的なものであることは百も承知している。ある意見ではそのような自責の気持ちがそもそもすい臓がんを発生させる原因だということも知っている。
私は考え方を変えることにした。私は命を区切られている。昨年5月に余命数カ月と宣告された。それにしてはいつまでも死なずだらだらと生きてはいるが、それは誤差の範囲かもしれない。主治医が言うように、そのうち容態が急変して死ぬというのが多分私に与えられた現実なのだろう。それならば、この期間をモラトリアムととらえ有意義に過ごすことこそが、正解なのかもしれないと思った。でも有意義とは?

私は2月に入って、読書に専念することにした。とりあえず読みたかった本を片っ端から読んでみよう。そう思った。この3週間起きている時間で、痛みをこらえてじっとうずくまって唸っている時間以外は私は気が狂ったように読書にいそしんでいる。
大した本を読んでいるわけではない。死に直面してその意味を深く考えてみようなどという気持ちもさらさらない。
今はありがたい世の中で、読書するために本屋をめぐる必要もない。kindleとAudibleが私の読書ツールだ。
ちなみにこの3週間に読んだ(あるいは聴いた)本は、以下の通り。

読了
kindle
サピエンス全史(ユヴァル・ノア・ハラリ著)上下巻
ホモ・ゼウス(ユヴァル・ノア・ハラリ著)上下巻
Audible
オリジン(ダン・ブラウン著)上・中・下
インフェルノ(ダン・ブラウン著)上・中・下
ロスト・シンボル(ダン・ブラウン著)上・中・下

現在読書中

kindle
日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫) (鈴木 大拙著)
Audible
反日種族主義 日韓危機の根源 (李 栄薫)
21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考 (ユヴァル・ノア・ハラリ著)

年が明けてもう2カ月たとうとしている。この2か月、ブログを更新する気にもなれなかったが、とりあえず、意味を考えずに思いつくままに覚書として雑感を記しておこうと思った次第である。