旅の途上にて

すい臓がんのこと, 商社の本懐

私は今、フランクフルト行きの飛行機の中でこの記事を書いています。

前回の記事(10月3日)を書いてから約1ヶ月半、正直病状はかなり変化しました。7月中旬から始めた抗がん剤は副作用がキツく、以前(9/16)の記事に書いたように、言いようのない倦怠感に襲われ、自宅のベッドからも起き上がれないような状況でした。(髪の毛も抗がん剤の副作用で激しく抜け始めたため、全て抜け落ちてしまう前に自ら坊主のように剃髪しました。) そんな状況であったため、9月中旬には抗がん剤を止める決心をしたのでした。つまり、抗がん剤の副作用に苦しみ、ベッドから降りられないような生活をしながら延命するより、仮に命が削られようとも死ぬ直前まで活動して死ぬ方がマシだと思ったということです。それで9月中旬の投与を最後に抗がん剤を切りました。これで激しい倦怠感は解消されると思ったのでしたが・・・

実は、抗がん剤を切ってまでどうしても参加したいイベントがありました。それは10月9日から三日間開催されたBioJapanというイベントでした。このイベントは再生医療や先端医療関係の研究開発を行なっている企業の展示会が主となるカンファランスで、弊社は毎年出展しています。弊社は、今年は、昨年までよりもブースを拡張し、台湾子会社も参加させてかなり力を入れて準備してきたのでした。弊社の今年の出展内容は、再生医療用材料、癌関係の免疫療法に関わる研究用試薬を中心に、国内研究市場において目新しいものを出展するという目論見です。私は、抗がん剤を切ってまで体力を温存し、どうしてもこのイベントに参加したかったのです。海外からも旧来の知己が何人も来日しパートナリングイベントに参加します。弊社が関わっているバイオベンチャーも然り。(海外のベンチャーやクラスターの担当者の何人かからはアポの申し込みもありました。)私は、私個人が出席できるチャンスが今年で最後になるかもしれないこのイベントに出席し、今までのように皆と丁々発止議論したかったのです。勿論私が末期の膵臓癌であることは誰も知りません。そのことを開示するつもりも毛頭ありません。ただ私は楽しみたかった。いつものようにネゴシエーションを楽しみたかったのです。

ところが・・・BioJapanが開催された週、私はこれまでに経験したことのない激しい倦怠感と言いようのない虚脱感で、全くベッドから降りられなくなってしまいました。痛みはありませんでしたが、酩酊の後の二日酔いのような激しい気分の悪さでした。まるで、抗がん剤の副作用が戻ってきたような感覚でした。いやそれ以上の気持ち悪さに私は自宅のベッドの上で七転八倒していました。私は正直死を悟りました。このまま死んでゆくんだろうと、途切れがちになる意識の中でそう思ったりもしました。抗がん剤を切ってすでに数週間になります。今から思うととても大袈裟だけど、人がこの病気で死ぬ直前ってこんな感じなんだろうかと漠然と考えました。そして今それが自分に訪れているのだと思いました。

そんなわけで、BioJapanが開催されている三日間は、ベッドの上でのたうちまわっていました。

ところが不思議なことにその週の終わりの頃にはその症状が回復してきました。次の週には歩き回れるくらいにまで回復しました。10月の第3週のことです。

どうしてあの後劇的に回復したのか、自分でも未だにその理由がわかりません。抗がん剤を切ってから一旦体調が良くなって、その後のあの不思議なしんどい症状でしたから、ドクターも言っていたようにその症状は抗がん剤との関連は無さそうです。そして何かの治療をしたわけでもなかったのに、突然回復してきたことは、なんだか不思議な気がしています。

いずれにせよ10月のその週を境に私の体調はすこぶる良くなってきました。それは今も続いています。それまでは、体がだるく、ほとんど会社にも出社できなかったですが、今は毎日午前中には出社し夜7時くらいまでは仕事ができるようになりました。

最近の体調の良さは、最近友人の紹介で始めたいくつかの漢方薬の煎じ薬の処方が効いているのかもしれません。

(友人が漢方薬局に手配してくれて手渡してくれたものなので、実際私はどう言ったものが処方されているのかあまり知らないのですが・・・)

抗がん剤をやめた週、私の癌マーカー(CA19-9)の数値は、抗がん剤を始める前の1000近くから最低で107まで落ちていました。抗がん剤は明確に私の癌には効いていたようです。しかし、上述の記事に書いたように、私は、延命のために抗がん剤によって言いようのない倦怠感に襲われながらベッドのうえで死を待ちながら生き長らえるよりも、命が短くなろうとも死ぬ直前まで活動していたいと思いました。それゆえドクターと協議の上抗がん剤を切ったのでした。

抗がん剤を切った後、癌マーカーの数値が上がってくる事も、激しい腹痛や背中の痛みが戻ってくる事も想定内でした。しかし、抗がん剤による倦怠感にも似た言いようのない気持ちの悪さは制御し難いものだけど、激しい腹痛は薬(現在処方してもらっている麻薬系の痛み止め)でなんとかしのげる、そういう思惑もありました。

実際、抗がん剤を切って、2ヶ月近くになりますが、確かに癌マーカーの数値はここに来て急に上昇してきました。上述のように1000から107まで下がったCA19-9の数値は、二週間前には130とまだ微上昇の程でしたが、先週の測定値は250と、この一週間で倍増しました。ドクターの話では、多分この先急激に上昇してゆくだろうという事です。これはすなわち癌自体が再びスピード感を持って成長してきているいることを示しているのだろうと思います。それは納得できます。また痛みも、数週間前から腹部から背中にかけての激しい痛みが戻ってきています。

現在、私のペインコントロールは、朝夕のオキシコドン(麻薬系の薬)、毎食後のナイキ酸、そして、朝夕および寝る直前のリリカ、とペインキラーだけで毎日かなりの種類の薬を飲んでいます。それでもここ週週間は朝起きた直後から腹痛を感じ、午後から夜には背中にまで痛みが廻りそして激しくなります。私は、痛みが強くなる都度オキノームというこれも麻薬系の痛み止めを頓服のごとく飲んでいますが、その量も増え、5mgの包装のものを1日6包から8包飲んでいます。

痛みについてはそれでも今はコントロールできています。抗がん剤を始める直前(7月上旬)のように、夜中激しい痛みに襲われ、オキノームを10〜15包程度飲んで明け方やっと眠れるくらいだったことからくらべると何ということはない。近い将来そのような状況に戻ってしまうのだろうという事は容易に想像できるますが、今は、痛みを抑えながら日々、活動することができているから本当にありがたいことだと思っています。今こうしてフランクフルト行きの飛行機に乗っている事も、1ヶ月前にはまったく諦めていたことであったからとてもありがたいのです。

さて、今回の欧州行きは、上述の9月の記事にも書いたように、私が設立したオランダの子会社を買ってくれるという人がいて、その打ち合わせにオランダに行くのが主な目的なのです。ついでにMEDICAというドイツ・デュッセルドルフで毎年開催されている世界最大の医療機器の見本市にも参加し5社程度取引先と商談する予定にしています。

今回は、弊社の次世代のメインプレイヤーとなるべき中堅幹部を一人、そして若い社員を一人、合計2名同行させています。

私は正直、少し前までは、私が死んだ後の自分の会社の承継のことばかりを考えていました。そのためにいろんな段取りをしましたし、遺書も準備しました。

しかし、私は今、その考えを捨てようと思っています。

私は、今は、出来るだけ生き延びて、自分が思い描いた夢の実現のために、自分が動こうと思っています。

つまり私の今の目標は、「生きる」ということなのです。