海外出張を終えて
この週末デュッセルドルフから帰ってきました。
仕事に関してはすべての日程を予定どおり問題なくこなし、それなりの成果も得ることができたものの、身体の状態については想像したよりも過酷なものになりました。
今回の旅は、トータル6日の短い旅でしたが、激しい痛みとの戦いでした。
ドイツでの最初の2日は何と言うことはなかった。朝起きた直後から弱い腹痛を感じるのはここ数週間の日常だけど、食事を控えながら、しのいでいたので、日中はほぼ激痛には至りませんでした。でも夜は、若い連中を食事に連れて行って、せっかくデュッセルドルフに来たのだからと、アルトビールを飲んだのがいけなかったのでしょう。二日め以降はビールは0.3リットルのグラスの半分くらいしか飲めなくなってしまい、ビールを飲んだ直後から激しい腹痛に襲われました。(そこまでして酒飲むなよと自問自答しながら(笑))痛みはアルコールのせいだけではないようで、多分商談中無意識の内に膵臓にストレスがかかっていたのでしょう、商談が終わると痛みが増しました。
また、ドイツの寒さが痛みに影響していたような気がします。夕食後は必ず激痛に喘いでいたのですが、それでも、ホテルのバスタブに熱めの湯を張って横たわって腹部を温めるとかなり痛みが取れました。温めたせいなのか、多用している麻薬系鎮痛剤のオキノームが効き始めたのか定かではないが、風呂に入った後は、一旦は腹痛が消えました。
3日めにオランダに移動しました。そこからが本当の激痛との戦いでした。昼間はまだ、腹部の激痛を感じながらもプレゼンやディスカッションに集中できました。オランダ、ナイメーヘンは4年間、最初は事務所として、そして2017年からは支社として活動をしてきた古巣です。旧知の面々に会ってディスカッションすることがとても楽しかった。多分それゆえ、昼間は痛みを忘れることができました。しかしその分夜一人になると、激しい痛みに苛まれ、夜も遅くまで痛みで眠れませんでした。この痛みをどう表現すればいいだろう、最初は胃の辺りに激痛が走り、それが脇腹の方に廻ってきます。膵臓のある左側、そして、肝臓のある右側。本当の痛みの根元は膵臓にあるのでしょうが、神経の錯綜の仕方で、本来痛みを感じるはずのない肝臓や背中の方まで激痛が走ります。オキノームを一気に3〜5包服用して、風呂で体をあたためてやっと何とか我慢できるような状態になりました。
そこまでしてどうして海外出張して仕事をするのか?
2ヶ月前、主治医に海外出張に行きたい旨を伝えると、「ありえない」という反応でした。私の命は、この5月に、余命あと数ヶ月という風に切られています。抗がん剤治療をしても一年は延命できないだろうという見積もりでした。抗がん剤は7月から1ヶ月程度やってみたものの、(前に書いたように)副作用がキツく、ベッドから起き上がれないような状態になってしまったので、断念しました。ベッドで苦しみながら延命することに意味を見出せなかったからです。
「どうでしょうか?」と聞く私に、ドクターは、「今の状態は、2週間後のことは何も言えない、という状況です。この状態で海外に行っている人はいないですよ」という回答でした。
それでも行くんだという私の決心に、ドクターはその後、とても協力的に薬の処方を含め考えてくれました。また緩和ケアの先生も、麻薬系鎮痛剤の海外持ち出しのための段取りをしてくれました。
私は今、オキシコドン、そして、オキノームという麻薬系の鎮痛剤を処方されています。ここにくるまでいろんな鎮痛剤をもらっていましたが、今はもう、麻薬系の鎮痛剤しか効かなくなっています。これを海外に持ち出すのは結構邪魔くさいのです。厚生労働省の麻薬取締課(マトリ)に申請し、当該薬物の輸出許可証(出国のため)と輸入許可証(再入国のため)を発行してもらわなければなりません。緩和ケアの先生によると、持ち出し数量の変更も飛行機便の変更もしてはダメだということでした。マトリは、実際仕事柄会社としては過去に、ある研究機関から依頼された輸入薬品が規制物質に該当するかどうか相談したこともあるので、知らないところではなかったのですが、こんな形でお世話になるとは思っても見ないことでした。
私の病状は、上の主治医の意見通り、数週間後にはどうなっているか判らないという状況ですので、緩和ケアの先生は、出発の2週間前まで待って、許可申請をしてくれました。「やっぱり行くことにしたのね?」と快く申請書類を作成し申請までしてくれました。主治医も、もしドイツ入国時など現地での不測の事態に備えて、英文で、私の病気のことと、薬の所持のことを書いてくれました。
“This letter is to certify that Takashi.E has pancreatic cancer.” (Takashi.Eが膵臓癌を患っていることを証明する)という最初の一文に、自分の状況を再認識する思いでした。
かように、私は今までのように気軽に海外に行ける身分ではなくなってしまいました。身分だけでなく、健康状態も上に記した通りです。
それでも私はこれからも命が続く限り、海外出張は続けてゆくつもりです。
限られた時間の中で自分の夢を実現するために・・・
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