初めての記事

2019年7月31日すい臓がんのこと

2018年9月16日にこのブログの開設準備をしました。

そして10カ月近くにわたって放置してしまいました。

あの時私は、一つの賭けをしていました。

さかのぼって話をしますと、2018年6月、ちょうど1年前、私は激しい腹痛を感じ大きな病院に入院しました。そこでは、すい臓がんの疑いこそ言われましたが、膵炎と判断され、確定診断ができないからと、筑波大学病院に転院しました。そこでも医師は多分すい臓癌であることに間違いないという見立てでしたが、癌細胞がまだまだ小さいものの、主な血管にまとわりつくように存在するため、手術ができないといわれました。また癌細胞の位置が奥まっているので細胞診ができず、確定診断ができないといわれました。でも癌であった場合は、ステージ4a 余命1年であろうといわれました。

当時の私は、貿易会社の社長として多忙を極めていました。月3回の海外出張。活動を始めたばかりの台湾、そして子会社のあるオランダ、その他中東など。当時は、痛みも今ほどではなく、日中は違和感程度のことでしたので、ほぼ業務に支障がなかった。

そんな折、このブログの開設準備をしたのは、昨年9月、それは、第2回目の細胞診の直前でした。私の賭けは、「もし細胞診で黒(癌細胞)であると確定したら私は、このブログを開設しないでおこう。でも白(癌でない)とでたら、ブログを開設し、心機一転、私の現在考えている様々な分野での意見や見識を世に問うてみよう・・・」そう思ったのでした。

でも9月、細胞診ではやはり有効な細胞が取れず、確定診断できませんでした。

それゆえ、実はこのブログを準備していたことも全く忘れ去ってしまっていました。

結局3度目の細胞診で、私の細胞が取れたのは昨年2018年の12月でした。結果はクラス5、すなわち余儀なくすい臓癌という判定でした。そしてその時点で、私の余命は確実に1年はないといわれました。

しかしそのあとも私は、仕事に専念していました。腹痛はだんだんと激しさを増してはいましたが、病院で与えられた薬で抑えながら、やはり海外出張も3月末間まで行ってました。

3月末のウィーン出張。最後の日、私は今までにない激しい腹痛に襲われ、うめきながら帰途につきました。そのころから具合が徐々に悪くなり、5月はとうとう、1か月のうち、3回合計3週間も入院してしまいました。毎回40度近い高熱が出て入院という羽目になっています。余命も、現段階で数カ月。この秋口までだろうといわれています。

そんな折、私は全く忘れていたこのブログを思い出しました。昨年9月には癌であった場合はこのブログを書くことはないだろうと思ったことも思い出しました。

 

でも、私は、今日、2019年6月17日。このブログを始めることにしました。

やはり私は、これまでの、私のいろんな思索をまとめておきたいことや、事業の承継者に、私が培ってきた商売における哲学のようなものを、残しておきたいと思ったからです。