遥かなるニュールンベルグ
ドイツ、ニュールンベルグ。
私は25歳ころから30歳過ぎまで、当時勤務していた貿易商社でニュールンベルグ郊外にあったメーカーの商品の輸入担当をしていたので、その間に都合4・5回この街を訪れたことがある。
この街は、第2次世界大戦で街の90%程度が破壊されたというものの今はきれいに復旧され、中世の街並みを完全に再現している。
ニュールンベルグはドイツでは私の一番好きな街である。
若いころ、この街を訪れてから実はもう25年もこの街には行っていない。でも若いころに訪れたこの街の風景は、その原風景ともいえるべき、レニ・リーフェンシュタールの映画に描かれた街の風景とリンクして私の脳裏に鮮やかによみがえってくる。
レニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)。彼女の名前を聞いて、「知ってるよ」とおっしゃる方はかなりの映画通なのかもしれない。あるいは第二次世界大戦中のドイツに造詣の深いひとか。リーフェンシュタールは、ナチスドイツの宣伝映画『意志の勝利(Triumph des Willens)』や1936年のベルリンオリンピックの記録映画『民族の祭典(Olympia)』の映画監督である。戦後、ナチス協力者として長年にわたり誹謗中傷されてきた。それは彼女自身が一貫して、ナチスに政治的に加担したことはないと反論し続けてきたことにも関係するだろう。戦後ドイツでは、彼女がナチス政権下で創った映画も、また、彼女自身もタブーとして葬り去られるべきものであったかもしれない。
しかし、彼女の上に書いた二つの映画は、葬り去られるにはあまりにも美しすぎた。
『意思の勝利』は本人自身が、あれはナチスの宣伝映画ではなかったと云っている。なぜならナレーションが入ってないからだという。通常宣伝広告であれば、宣伝対象を説明するナレーションが入っているはずだが、あの映画には本来宣伝映画に必要なナレーションが一切入ってないのだと云う。文字通り宣伝文句のない宣伝広告など無いのだと主張する。しかしそれは詭弁だ。
確かに、あの映画は、ナレーションが入ってないが、(しかしそこが彼女の天才たるゆえんであるが)ナチスのニュールンベルグ党大会を中心とした大衆を描いたドキュメンタリー映像と、祭典の模様と、ヒットラーの演説だけで綴られたあの映画は、その分、大変な凄味を持って観る者に訴えてくる。皮肉にも空前絶後のプロパガンダ映画だと云えよう。彼女は、あの映画を芸術として撮ったと云っている。たしかにヒットラーを主人公とした壮大な文芸作品のように私は感じた。また、『民族の祭典』もそうである。こちらの方は、アスリートの肉体美を究極まで追求したまさに芸術作品であるといえよう。
またこれら2つの映画は、彼女が編み出した斬新な映画技法がふんだんに取り入れられており、彼女のアイデアなしに現在の映画技術は無かっただろうと云われている。
彼女自身、自分はナチス党員でもなく、ユダヤ人を差別したこともなく、ましてや政治や思想など一切興味がなく、関心があるのは芸術だけだと云っている。
しかし、ヒットラーにアプローチしたのは彼女の方であった。
どこかでヒットラーの演説を聞いて感銘を受けた彼女が、ヒットラーに自分の監督・主演した映画に手紙を添えて送ったのであった。その時彼女は、この人がドイツを救ってくれるのだと思ったという。それは、第一次世界大戦で敗戦し、ぼろぼろに疲弊していた当時のほぼすべてのドイツ国民が抱いた希望であったろう。
私は彼女の無邪気なまでの一途さが好きだ。彼女は、二十歳の頃新舞踏のダンサーとして世に出た。ダンサーとしてはそれなりのデビューができたようであるが、ある日、ある山岳映画を見て感銘を受けて、その映画を作った監督のもとに女優にしてくれと押しかける。そして女優としてもハリウッドに呼ばれるほどのある程度の名声を得るのであるが、それに飽き足らず映画監督になる。ナチス協力者としての烙印を押された戦後も、自分の納得できる映画を撮るためアフリカの原住民の中に生活し、また、海洋映画を撮るため、70歳過ぎてからスキューバダイビングのライセンスを取得した。その映画は彼女が90代に至るまで撮り続けられ100歳の時に完成している。(彼女は世界最年長のスキューバダイバーでもあった。)
つまり自分を高め、自分の思いを遂げることに対し、無邪気なまでに一途であったと言えよう。
彼女は根っからの芸術家である。そして無邪気で自分自身の感性に対しとてもすなおな一人の女性であった。そして彼女は、他の天才と呼ばれる人たちがそうであるように、自分の仕事に妥協を許さずかつ大変な努力家であった。 ただ彼女はたまたま一つの作品を作るにあたってヒットラーという悪魔と契約してしまったということであろう・・・いや、ヒトラーと出会ったからこそ、その事によって、彼女はあの芸術作品を生み出し、そして、そのことにより数奇な人生をいきたのだと言えよう。
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