遥かなる百済

紀行・歴史探訪

現在、日韓関係が戦後最悪と言われている中、両国間に反日または嫌韓などという関係性の認識が生まれてきたのはいつからなんだろうかととても興味がある。韓国側にとってみてそれは秀吉の朝鮮出兵だったのか?それとも1910年の日本の韓国併合からなのか?はたまた戦後の政治的関係性においてなのだろうか?
戯画化すれば、韓国という隣人は、隣の奴がむかつくから、過去を思い出して余計に腹が立って、反抗するんだけど、日本という隣人は隣の奴が反抗的だからむかついて嫌いになる、そうすると余計に腹が立つ、とそんなところなんじゃないかという気がする。歴史認識云々といわれているけど、その根は実はそんなに深くないのではないかと思っている。それは問題が深刻でないと言っているわけではなく、根が深くないゆえに余計に深刻なんだと思う。

古代の韓半島を取り巻く日本と隣人との関係はどんな感じだったのか、そしてお互いをどう思い、どう感じていたんだろうかととても興味を持った。

4世紀から7世紀にかけて、朝鮮半島は3つの国が支配していた。

高句麗(こうくり、)、新羅(しらぎ)、そして百済(くだら)、である。

数年前のことだが、韓国大田(デジョン)での仕事が終わり、ちょっと時間があったので、大田からバスで30分程度の公州(コンジュ)という街を訪れてみた。 公州は百済の首都があった街。その昔は熊津と云った。5世紀の終わり頃、百済は高句麗との戦いに敗れ、もともとの首都である漢城を追われ、この地に首都を移した。そしてさらに南の扶余に移転するまでの60年程度の間ここが百済の首都だった。そして王がいたのが熊津城であった。

公州城(熊津城) この城の城壁はもともと土塁であったそうである。現在の石垣の城壁や多くの建物は朝鮮王朝時代のものである

百済は最終的には唐・新羅連合軍に敗れ、滅びる。日本は、同盟の証として人質に取っていた百済の王子豊璋とともに、朝鮮半島に派兵した。その数3万7千人。しかし結果は、日本は唐・新羅連合軍に敗れた。学校ではその戦いを、白村江(はくすきのえ)の戦いと教わった。白村江とはこの公州を、そして第3の首都であった扶余を流れる錦江であると云われている。

公州城の城壁から見下ろした錦江。 この川の雄大さを見ると、この街の名に“津”と云う文字が入っていたことがうなずける。

その時の私には、いま自分がその1300年以上も前に、日本の兵士たちが来たであろう白村江のほとりにたどり着いたのだと思うといわれのない感動があった。

1300年前、日本がこの半島に出兵した時、日本側の思いというか、覚悟のようなものが万葉集に残っている。

田津(にきたつ)に、船(ふな)乗りせむと、月待てば、潮(しほ)もかなひぬ、今は漕(こ)ぎ出(い)でな

(熟田津に船出しようと月を待っていると潮の流れもちょうど良くなった。さあ今こそ漕ぎ出でよう。)

この時の朝鮮出兵の趣旨は、唐・新羅と戦う百済を援助することだった。この時、斉明天皇、そして中大兄皇子は兵達を熟田津(今の松山市)に集めた。

「さあ、待っていた月も出た、潮も満ちた。いざ出航だ」という趣旨の歌である。歌を詠んだのは額田王(ぬかたのおおきみ)であったとされる。

この後、兵は天皇と一緒に九州に移動したが、そこで斉明天皇は崩御し、指揮官になった中大兄皇子が率いる朝鮮出兵隊は百済と合流し、戦ったが、惨敗した。その場所が白村江(錦江)であった。それが語り継がれてきた史実である。

私は公州城というこの大きな山城を散策しながら思った。

時代(とき)は流れる。この1300年のあいだ、どれだけの個別な人格が生まれ、そして死んでいっただろう、この韓国の地でも、日本でも、そして世界中で・・・・

そう思うととても雄大な気分になった。

時代(とき)は流れる。普段生きている日常の中では自明の、なんということもない、当たり前のことだけど、時として、遠い昔に想いを馳せる時、それがまるで奇跡のように自分の中によみがえってくる。そして時を経て、幻のように生まれては消えて行った無数の人間たち、そのすべてのものの人格、喜びや苦しみ、人生のドラマ・・・

ここに立っていると自分の周囲の空気がかすかな風と共に身体に纏わりついてくる。その空気の襞のようなところにからめとられると、時空を越えた空間に入り込む。そこでは無数の幻たちが時を超えて行き来している。

この此岸もまた、あの彼岸と同じく、夢幻であるのであろう・・・

その夢幻を感得していると、いま巷で言われている、日韓問題、両政府の応酬とそれに踊らされている民衆の感情、そんなものすべてが、実はとるに足らない一瞬の出来事なのかもしれない。そう思った。

旅というのは空間を渡ることを言う。しかし、時間を遡るのもまた旅である。

すなわち時空(時間と空間)を超えることが旅なのではなかろうか。

人は旅によって時空を超えることができる。だから人は旅をするのかもしれない。

そして旅をするといろんなことを知る。