貿易商とその妻

2019年8月9日

 

その男がエチオピアのハラールから紅海を挟んだアラビア商人の基地アデンに舞い戻っていると云う噂を聞いたので、さっそく訪ねてみることにした。
その男は私より10歳ばかり年下に見えた。まだ35歳前後であろう。珈琲園で鍛えた贅肉の無いスリムな肉体と浅黒い皮膚の色が、私と同じフランス人でありながら、我々が属す欧羅巴人種のようには見えず、現地の人間かと見まがうほどであった。

私が今回彼を訪ねるのにはわけがあった。

私は、彼が居たエチオピアの別のある商人から武器の調達を依頼され、その調達にあたって共同の出資者を募ってほしいと云う依頼を受けていた。私は早速アデン のアラビア商人の何人かに声をかけた。その中に彼の雇い主であるフランス系商社のオーナーも含まれていた。しかし、すべての交渉は頓挫していた。調達した銃2000丁をエチオピア国王に売り付けるのだと云う企画にだれもがしり込みした。エチオピア国王にはイタリアとの戦争を想定して、武器を大量に集めたい という意向があった。皆がしり込みした理由は当然ながら支払いの履行の不確実性、そして、汎欧州的政策(すなわち植民地政策)に対する否定的動きになることを恐れていたからである。だがそれは、自己の存続の基盤を揺るがす事になりかねないからといったような甘えた倫理観ではない。のちのち法律により裁かれるようなややこしいことに巻き込まれることを怖がったのである。 その男がアデンに戻ってきていると聞いたのはその時だった。
私がこの男に関心を持ったのにはいくつかのわけがあった。上に書いたような粗野な風貌から想像ができないほど、彼は博学だった。過去、何回か会って、いろんな商売の話をしたが、特に彼の、土木、建築、地政学、機械工学に関する知識には圧倒されるばかりであった。その上、語学が堪能で、母国語であるフランス語以外に、アラビア語、アムハラ語(エチオピア語)などを流暢にしゃべった。私は敬意をこめて彼のことを博士と読んでいたのを覚えている。また、彼にはいくつかの奇妙なうわさがあった。彼がこの地にきて貿易商としての仕事に従事する前、パリ文壇でかなり有名な詩人であり、その世界ではカリスマ的な存在であったと云うこと。(彼自身は笑って否定したが。)そして、金に貪欲だと云う事。彼は銀行に金を預けず、稼いだ金は薄い金の延棒にして常に腹に巻いている、という噂であった。(さすがにこれは本人に直接聞けないが・・・)

私は、これらの噂と、彼の風貌と、彼の博学と、彼の物腰のすべてがちぐはぐなことにとても興味を持った。
そして、商売人にしては珍しい寡黙さ、そして、まっすぐに人の目を見つめてくる鳶色の瞳の純粋さ・・・
しかし、当然のことであるが、私が彼にほれ込んだ理由の第一は彼の商才であった。

私は、最後の望みを彼に託して、彼に会って武器貿易を斡旋しなければならなかった。
1885年の夏の盛り。うだるような暑い日のことであった。


 

その男を再び尋ねる前に、彼の周辺の情報を仕入れた。いつものことである。そうすると興味深い噂を聞いた。彼は今まで住んでいた彼の雇い主が用意した安アパートではなく、一軒家を自分で借りていると知った。そして、金の延棒を腹に巻いているようなしぶちんの彼にしては珍しく飯炊き女を雇っていると聞いた。 何より驚いたのは、彼がエチオピアより花嫁を連れてきたということであった。失礼ながら同性愛者という噂のあった彼であった。彼がまだ二十歳にもならない若いころに痴情のもつれから年配の男と刃傷沙汰を起こし、その相手が当時の文壇の名士であったのでフランスではかなり大きなスキャンダルになったと聞いた。別れ話が縺れて名士たるその年配男が、この若い男に発砲し投獄されたと云う話であった。それも噂の域を出ていなかったが。 今は好色なオヤジどもの恋愛対象になったと云う面影が一切ないこの男ではあるが、私は彼の眼を見た時さもありなんと信じてしまっていたのであった。

私は彼に電報を差し入れて約束を取り付け、その日時に彼の家を訪ねた。聞いていたとおり、召使いの女が応接に通してくれた。こじんまりした家であったが新婚家庭にふさわしく清潔な感じがした。
私は、噂は本当だったのだと思い、失望した。これから私が切り出そうと云う武器貿易の話は、とても新婚の男が引き受けるような話ではなかったから。

しばらく待っていると家の主が現れた。アフリカ帰りの彼は、ますます精悍さ、というより凄味が増した。もともと彼は人の話を聞くとき、相手の眼を睨みつけるように見つめるが、その眼つきの厳しさが一層増した。
私たちは幾分大仰な挨拶を交わすと、席についた。ちょうどよいころ合いで若い女が珈琲を持ってきた。女は二十歳ぐらいに見受けられた。背がすらっとした美人であった。西洋のドレスを身にまとっていたが、間違いなく彼女はエチオピア人で、その中でも、ポルトガル人の血を受けたアビシニア人のようであった。彼女の褐色の肌は日に焼けたこの男の肌色よりも濃く輝いて見えた。この女の美しさに驚いたが、何よりも驚いたのが、この女の瞳の中に夫であるこの家の主と全く同じ光を秘めていたことである。
同じ眼差しをしていると私は密かに思った。

私は女に向かって、

「奥さん、お名前は?」
とフランス語で聞いてみた。案の定、一瞬キョトンとした顔をした。
私は多分女はフランス語を解さないだろうと思っていた。そのうえで、この家の主に聞くつもりで問いかけたのであった。
しかし、男は、「この女はフランス語を話せないんだ」と言ったきりで、私の知りたかった事を二つ共教えてくれはしなかった。そして、本題に入るよう促された。

私は、今回のプロジェクトについて誠意をもって説明した。銃を調達するのに三万フラン程度必要になるが、その調達した銃は十二万フラン前後で売れるであろ うこと。この話はエチオピア王からの受注を確約したものではなく、調達した銃を持って、エチオピア王に謁見し、商取引の交渉をしなければならないこと。そ のためにエチオピアまで赴き、王と交渉することも今回のミッションに含まれている事。そのミッションのため、男の才能を見込んでこの話を持ち込んだのであ ること。
前半の金に関連する部分は多分問題なく引き受けられるであろうと私は思っていた。この時代ヨーロッパからわざわざアラブ辺りに出向いて、アフリカ相手に商 売をしようと考える連中は所詮山師と相場は決まっている。奴隷、武器、象牙、一発当てるためにはこのどれかに手を出すしかない。そして商人は、皆大きな取 引の機を狙っているのだから。
それよりも、一番最後の条件が問題だと思っていた。アデンから紅海を横切って向かいのエチオピアに上陸し、首都まで移動し、商交渉をして帰ってくる。こう 書けば簡単だけど、並大抵なことではない。ちょっとした冒険旅行なのである。銃2000丁という大荷物 をもってアフリカの砂漠地帯に立ち入るのである。そもそもヨーロッパ人が盗賊達の格好の餌食である上に、武器だと言っても荷造りされたそれは、他の物品 と同じ、盗賊達にとっては単なるお宝にすぎない。エチオピア王と交渉するどころか首都にたどり着ける確率自体が極端に低い。貿易商=冒険家だと私自身自負 している。しかし、新婚だからと言って女を連れてゆくわけにはいかない。まして、置いて行ったからと言って、本人が返ってこれる保証もないのである。

私は一通り説明を終ると沈黙した。そして男の顔を窺った。
「やるよ」 と男はぼそっと言った。
お互い貿易商である。事態はすべて飲み込めているはずである。その上での回答である。
「やるのか?」と私はもう一度念を押した。

男は無言でうなずいて見せた。

1885年9月15日 ADENにて


Posted by Takashi.E