ある夜ある街の片隅で・・・
私はどうも子供のころから変な事件に遭遇しやすい。しかし霊感が鈍いせいか、もやもやと、漠とした感覚のうちに事が終わって、いったいあれはなんだったんだろうということが多々ある。
これも私が若いころに遭遇した実際にあった出来事である。
事件の発端は、ある殺人事件だった。1990年代の始まりのころ。私が当時住んでいたS県S市の駅前のアパートの50メートルほど先の空き地で深夜専門学校の女生徒が殺された。殺したのは、やはり近所の(後からわかったことだが)、私のアパートを軸に殺人現場とちょうど反対側に50メートルほどはなれた、木造アパートに住んでいた男子大学生だった。新聞によると、その夜、その男子学生は、いたずら目的で、S駅で目を付けたこの女の子の後をつけ、件(くだん)の空き地に来たところで襲おうとしたのだが騒がれて、とっさに持っていた刃物で刺してしまったということであった。女の子は、深く刺されてほぼ即死だったようである。
事件とはなんの関係もない話であるが、ちょうどそのころ、私のアパートの部屋の隣に30歳前後の独身男性が移り住んできた。律義に、洗剤などを持って私の部屋にあいさつに来てくれた。いまでも奇妙にその彼の様子を覚えている。彼はなんだか線の細そうな小男だった。しばらく話をしていて大手有名商社に勤めているということを知った。でも彼と話したのはその時が最初で最後だった。最初のころは気さくな感じで会えば会釈をしてくれていたが、日が経つにつれだんだん陰気な感じになり、そのうち髪も髭もぼうぼうで浮浪者のような風貌になっていった。引っ越してきて何ヶ月かたったころにはもう会社にも一切行ってないようで、一日中駅前をふらふらしているようであった。そんな豹変ぶりが奇異でもあり、そのうち彼は近所でもちょっとした有名人になった。となりの部屋で彼が深夜に時々大声で奇声をあげるので、私は腹が立って、そのたびに私は隣の彼の部屋に接している壁を蹴ったりしていたが・・・部屋の壁を蹴ると、奇声は止み、その後は朝まで息を潜めたようにしんとした気配になった。
どうも当時彼は借金取りに追われているようであった。一流商社に勤める彼にいったい何があったのか皆目見当もつかなかったが、怖そうなお兄さんたちが夜な夜な隣の扉を敲いては、「出てこんかい!」とか騒いでいたから借金取りだと思った。そのうち決まって隣の私の部屋のドアがノックされた。彼らは私には奇妙な猫なで声で、「隣、いませんか?」と聞くから、私はいつも、彼が部屋の中で息をひそめているのを承知で、「今はいないようですねえ」と答えていた。
数カ月して、突然彼は消えた。引越し作業を行ったような気配もなくひそかにアパートを出て行ったようであった。
当時いつも通っていたアパートの隣の散髪屋のおばさんが、
「あの人、田舎に帰ったようね。この前、初めてここに散髪に来て言ってたよ。なんか、ここに越してきてから、連帯保証で借金まみれになったり、会社首になったり、急に悪夢のような日々が続いてたけど、いきなり心が晴れ渡ったように目が覚めたって。借金もきれいに返したし、田舎に帰ってやり直すって言ってたわ」
よかったね、と散髪屋のおばさんと言いあったのを覚えている。
それからしばらくして近所のアパートでボヤ騒ぎがあった。全焼は避けたものの消防車が結構来てものものしい雰囲気だった。その直後から、近所でいろんな噂話を耳にするようになった、おおむね次のようなものであった。
そのボヤ騒ぎを起こしたのはそのアパートに住んでいた女子大生で、焼身自殺をしようとしたらしい、とのことであった。そして、そのアパートの彼女の部屋というのが、もともと、数ヶ月前(上述の)殺人事件を起こした男子大学生が住んでいた部屋だということだった。 間もなくそのアパートは取り壊された。 そのアパートの大家さんが、薄気味悪がって取り壊した、とこれも散髪屋のおばさんに後から聞きいた。
最初その話を聞いた時の率直な感想は、「うわさってすごいなあ・・・このようにして物語は作られてゆくのかあ・・・」程度のものにすぎなかったが。
そうこうしているうちに、例の隣人が出て行った後の空き部屋にも新しい人が越してきた。こんどの人は前の頭がちょっとおかしくなってしまった人とは打って変わって、大柄な怖そうな感じの人だった。でもなんだかほっとしたのを覚える。なぜそう思ったのかは思い出せないけど・・・
ある時、私の部屋の何かが壊れて、隣の彼にペンチを借りに行った。彼は不機嫌そうにしぶしぶ私にペンチを貸してくれた。彼がペンチを探してくれている間、私は何気なく彼の部屋を見渡した。その時、不思議に、彼のワンルームの部屋の(って作りはアパート全部屋同じ造りだったけど)、奥の方に敷かれたままの布団が気になったのを覚えている。なぜだか今でもその布団の上に転がっていた枕がまぶたの裏に焼きついている。
それからしばらくしたころだった。(多分数カ月もたっていなかったと思うが。)
その頃私は当時付き合っていた女性と、彼女の部屋で半同棲のような生活をしていたので、この自分のアパートの部屋に帰ってくることがめっきり少なくなっていた。
ある日、数日ぶりに自分の部屋に帰ってくると隣の散髪屋さんに髪を切りに行った。
散髪屋のおばさんは、私と目が合うと開口一番、
「あなた、大変だったわねえ・・・」と言った。
はあ?と聞く私に、
「あなた知らないの? 水曜日、あなたの隣の人・・・自殺したじゃない!」
(水曜日って、4日ほど前じゃん。)
私はその場に卒倒してしまいそうなほどびっくりして、そしてかなり動揺した。あの大柄な強そうな男性と自殺という事実が到底結びつかなかった。それよりも・・・
先週私は月曜日からずっと自分の部屋には戻っていなかった。昨日、土曜日に久しぶりに自分の部屋に帰ってきたのだった。
私は再度おばさんに確認した。そして、水曜日というのが、隣の部屋の男性の遺体が運び出された日で、警察が来ていろいろと聞かれたのでよく覚えているが、いつ自殺したのかは教えてくれなかったとのことだった。
もちろんそれより前だろうなあ。多分、職場に出てこないからとかいう理由で彼の会社なり同僚なりが気付いたということなんだろうなあ。
そして、私は、その瞬間、彼が自殺したのは日曜日の夜に違いないと確信したのだった。
身に覚えがあったから・・・。
その日曜日の午後だった。友人の一人から電話があった。
「面白いものを見せてやるよ、これから行くから・・・」
当時彼は、大手建設会社の橋梁工事の現場監督の仕事をしていた。その時は、奥多摩のダム湖に掛った橋のリニューアル工事をしていると言っていた。
その夜彼と酒を飲みながら、その「面白いもの」を見た。
それは、東京都に提出するために撮ったという工事の進捗状況の写真だった。20枚程度の写真だったが、その半分以上がまともに撮れていなかった。まともじゃないというのは、変なものがいっぱい映っていたからである。あるものは黒い閃光のようなものが写りこんでいたり、あるものは奇妙に白くぼやけていたり・・・そして、数枚には・・・くっきりと人物が写っていた。それぞれ違う人物のように見受けられたが、その中の一枚の写真。今でもはっきりと覚えてる。和服姿の若い女性の胸から上が、橋げたの向こう、湖の上にくっきりと浮かび上がっているではないか? 全体的に白く透き通った感じではあるが、とてもはっきりとした輪郭だった。それを見た瞬間、私は正直あまり怖くなかった。なんだか儚げな・・・若い女性だった。目鼻立ちがしっかりしていて美人だった。髪の毛の結われていた雰囲気からして、昭和より前の人のような気がした。
後から知ったことだけれど、この橋は、全国的にかなり有名な自殺の名所なのだ。そしてこの友人はこういう写真を撮る名人だった。霊感がかなり強いのである。何しろ、彼のお母さんが、彼が高校1年の時に病気で亡くなったのだけれど、その時、夜中に彼だけが虫の知らせを受け、母親が寝ている部屋に行ったそうである。そして彼だけが母親の死に目に会えたと言っていた。また学生時代、彼はガールフレンドと旅先で何枚も写真を撮るのだが、いつも数枚に変なものが写っているから、いつも彼女が怒っていたのを覚えている。
だから彼は全く平気で、その夜も、
「こんな写真、東京都に提出できないよなあ・・・明日また撮り直しかあ・・・」
とぼやいていたが。
そのあくる日、月曜日、再びその友人から電話があった。さすがの彼も少し興奮気味だった。
「とても不思議なんだけど・・・今朝、東京都に提出できる写真を選ばなければと思い、昨日の写真を見返してたら・・・全部の写真から、写ってた変なものが一切消えていた・・・」
私はその瞬間とても怖くて顔が引きつっていたのを覚えている。
「そ、それ・・・消えたやつら、どこに行ったんだよ! ま、まさか・・・俺の部屋にいるんじゃないだろうな!」
散髪屋のおばさんから、隣の人が自殺したと聞いた時、とっさにこのことを思い出したのだった。そして、その時、友人の写真から消えた霊のすべては隣の部屋に行ったに違いないと思った。何の根拠もないが、なんだか、この霊たちが、隣の男性を自分たちの世界に連れていったのだと、確信したのだった。
また、後日、私はあることを思いついて、地元の図書館で、市内のゼンリン住宅地図をコピーしてきた。そして、女子学生が殺されていた空き地のその場所と、殺した大学生の、アパートのその部屋を、正確に定規で線を引いてみた。
そうすると・・・
ちょうどその中点に、私の住んでいたアパートが当てはまった。精度を上げて測ってみると、その点は、私の隣の部屋、それも私が垣間見た、隣の部屋の男性の、枕が転がっていた位置に該当するようであった・・・・
その頃、私が住んでいた町内ではちょっとしたパニック騒ぎになった。奇妙なことが立て続けに起こったからである。
しかし私は特に怖いという気持ちもなく、町内の騒ぎにも組せず、別段なんということもなく日常を過ごした。それからそのアパートを引っ越すまでの約1年間、とうとう隣の部屋にはだれも越してこなかったけれど。
それよりも今でも不思議に思う。霊たちが連れて行ったのは、私ではなくどうして隣の男性だったのだろうか・・・と。
それとも、すべては単なる偶然に過ぎなかったのだろうか・・・
了